青山御炉路町(近世)
江戸期〜明治2年の町名幕府御炉路の者14人が神田御茶の水に拝領していた町屋が御堀普請のため召し上げられ,天和3年代地として青山和泉守上げ屋敷のうちを拝領した御炉路の者は御数寄屋懸衆であるため,俗に御数寄屋【おすきや】町とも呼ばれた(備考)文政11年の総家数33軒,うち地主8・店借25(町方書上)慶応4年に御の字を除き青山炉路町となり,明治元年東京府に所属同2年青山五十人【ごじゅうにん】町とともに青山相生【あいおい】町となる現行の北青山1丁目7番と2丁目1番北東との間で,神宮外苑の中
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297659
最終更新日:2009-03-01