ケータイ辞書JLogosロゴ 青山五十人町(近世)


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江戸期〜明治2年の町名作事方定普請同心の大縄拝領町屋敷で,家康の関東入国以来お茶の水台と湯島天神前に町屋敷を拝領していたが,天和3年に幕府用地に召し上げられ,青山和泉守の上げ屋敷のうちに代地を与えられた拝領の同心が50人であったため青山五十人町と唱えた文政10年の総家数96軒,家持18・地借25・店借53(町方書上)明治元年東京府に所属同2年やや離れた地にある青山炉路町【ろじまち】とともに,青山相生【あいおい】町となる(町名沿革表)現行の北青山2丁目東南部で1〜3番のあたりで南青山2丁目5番東南角にも飛地があった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297661
最終更新日:2009-03-01




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