ケータイ辞書JLogosロゴ 石田村(近世)


東京都>国立市

 江戸期〜明治22年の村名。多摩郡日野領のうち。幕府領。「田園簿」の村高は田109石余・畑27石余,計137石余。うち23石は「年々川懸」ほかに寺領7石。「元禄郷帳」では162石余。「天保郷帳」では163石余。「旧高旧領」では幕府領231石余・石田寺観音堂領7石。耕地の大半が水田で,「土性は真土にて総て平地」であった。化政期の家数14軒(新編武蔵)。村東南の浅川・多摩川の合流点付近は昔の渡しの跡で,日野の渡しは,ここから引き移したという。日野の渡しの舟修理の時,近郷の村々は出銭するが,当村が免除されたのは,昔渡りの人足などを一村にて承ったことによる。村南方の,新義真言宗愛宕山地蔵院石田寺は康安元年慶与の草創で,初め吉祥坊と号し,永和年間頃から衰微したが,天文13年の洪水に立川村普済寺の方から観音の木像が流れ来たのを古い庵跡に堂をつくって安置し,その後文禄2年沙門慶心が別当となり一寺を建立,石田寺としたという(新編武蔵)。なお新撰組の土方歳三は,当村の出身で,明治2年凾館五稜郭の戦に参加,35歳で没した。明治5年神奈川県,同11年南多摩郡に所属。同22年桑田村の大字となり,飛地は谷保【やぼ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297825
最終更新日:2009-03-01




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