ケータイ辞書JLogosロゴ 和泉村(近世)


東京都>狛江市

 江戸期〜明治22年の村名。多摩郡世田ケ谷領のうち。「田園簿」の村高は田140石余・畑97石余,計237石余。支配の内訳は近江彦根藩領61石余・石谷氏知行地113石余・松下氏知行地62石余,ほかに彦根藩に納める野米1石2斗8升5合。「元禄郷帳」の村高は258石余,「天保郷帳」では341石余。「旧高旧領」では幕府領73石余・石谷氏分193石余・松平氏分89石余・彦根藩領62石余・泉龍寺領20石。化政期の家数120軒。水利は泉龍寺境内の湧水を慶長14年当地方の代官小泉次太夫が開削,村内で多摩川から取水する六郷用水(次太夫堀)を用いる。鎮守は石谷氏の勧請と伝える六所明神社(伊豆美神社)。その他神社には白幡明神社・稲荷社・神明天王水神合社等,寺院には曹洞宗雲松山泉龍寺・天台宗熊野山観音院玉泉寺がある。泉龍寺は朱印地境内1万6,900坪と寺領20石を有し,同寺に安置する地蔵尊は,安永年間から近隣農民の信心が強く,各家に迎えられて祈念されるようになり,化政期には江戸府内の家々までも巡行して,同寺へ帰るのは,毎月23日のみであったという。また同寺大門の東わきには地頭石谷氏先祖の屋敷跡があり下屋布と呼ばれていた。その他村内には亀塚・金堀塚ほか10基の塚(古墳か)があったと伝える(新編武蔵)。明治初期に上野村を合併。明治5年神奈川県,同11年からは北多摩郡に所属。同22年北多摩郡狛江【こまえ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297833
最終更新日:2009-03-01




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