ケータイ辞書JLogosロゴ 入野村(近世)


東京都>あきる野市

 江戸期〜明治22年の村名。多摩郡小宮領のうち。はじめ幕府領,延享4年より田安家領,幕末は三河西端【にしばた】藩本多家領。村高は109石余(元禄郷帳・天保郷帳・旧高旧領)。耕地面積に占める水田の割合は13%で,当地方の平均水田率5%に比して高率。安政2年の戸数35・人口137。おもな農間稼は男は秣刈り・筏川下げ,女は養蚕・黒八丈織。慶応2年6月16〜17日,名栗【なぐり】(埼玉県入間郡)に発した打毀(武州一揆の1支隊)が青梅【おうめ】を経て五日市村を襲った。この時当村まいまい坂(小倉山下の旧青梅街道)で,五日市側の鉄砲と竹槍隊に阻まれて逃走。当村からも40人の竹槍隊が参加した(五日市町史)。明治4年神奈川県,同11年西多摩郡に所属。同22年明治村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297956
最終更新日:2009-03-01




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