ケータイ辞書JLogosロゴ 海沢村(近世)


東京都>奥多摩町

 江戸期〜明治22年の村名。多摩郡三田【みた】領のうち。村の西方を上海沢,東方を下海沢と称す。村高は94石余(田園簿),寛文8年の検地では上海沢村が167石余,下海沢村が100石余と2村に分かれ,多摩川上流の村としては氷川【ひかわ】村に次ぐ。同年の戸数98戸,化政期の家数84軒(新編武蔵)。「天保郷帳」の村高267石余。耕地は畑のみ。ほかに炭・薪・筏木の切り出しを生業とし,女はフシノオ・コウゾの皮を原料とした太布を織っていた。また渓水を利用したワサビの生産は,年間100両余(新編武蔵)。嘉永6年3月2日,対岸の栃久保【とちくぼ】村日向から出火,45戸が類焼した。明治5年神奈川県に所属。明治10年の物産は,繭18石余・ワサビ1万本・クワ6,000貫余・杉丸太1,000本・炭2,000俵など。同11年西多摩郡に所属。同年の戸数74。明治22年氷川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7298042
最終更新日:2009-03-01




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