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- 御徒町(近世)とは
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御徒町(近世) 江戸期~明治9年の町名江戸期は鶴ケ岡城下のうち城下東部,三日町の東に設けられた給人(下級武士)の町町割りについては,「土目録嶋村之条,延宝元丑年,拾四石四斗弐升四合,御徒屋敷渡,永引と有之,是三日町末御徒町屋敷割の始也」,また「寛文十二子年,御徒町新地割ありて,翌延宝元丑年より御高拾四石四斗弐升余永引に仰付らる云々」(鶴岡市郷土資料館,大泉掌故)とあり,町割りの初めは寛文12年から延宝元年と思われる元禄9年の鶴ケ岡城下大絵図には約20軒の御徒屋敷と町の東端に島村の年貢地が見える明治9年八坂町と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」