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- 大鋸町(近世~近代)とは
「大鋸町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 大鋸町(近世~近代)
江戸期~昭和6年の町名天保期までは京橋川と日本橋川の中間にある入堀に面していた町名は大鋸職人(木挽)が集住した職人町であったことによる入堀に面していた河岸地は桐...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7298269]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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大鋸町(近世~近代) 江戸期~昭和5年の町名江戸期は高田城下の町人町の1町明治初年~明治44年は高田を冠称高田城西北,南北に走る西裏町(現仲町通り)に位置する町名の由来は,大きな鋸を用いる木挽職人が集住したことによるなお,西裏町は職人町であり,木挽・大工・桶屋・檜物職人等木材を扱う職人が住んだ寛保2年の家数63明治21年の戸数89・人口358同22年高田町,同44年からは高田市に所属大正2年の戸数91昭和5年仲町1~6丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」