ケータイ辞書JLogosロゴ 尾久町(近代)


東京都>荒川区

 大正12年〜昭和41年の町名。はじめ北豊島郡,昭和7年からは荒川区に所属。関東大震災後人口が増加し,大正9年の5,000人台から昭和5年には7万7,000人台となる。このため,大正12年設立の尾久西小学校をはじめ,赤土小学校・大門小学校などが増設。昭和7年荒川区の成立に伴い大字を廃し,1〜10丁目が成立。同年三河島町町屋の一部を編入。同17年4月,B25の東京空襲を受けた。昭和38〜41年,現行の東尾久1〜8丁目・西尾久1〜8丁目・町屋4〜7丁目・西日暮里【にしにつぽり】6丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7298305
最終更新日:2009-03-01




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