ケータイ辞書JLogosロゴ 奥戸村(近世)


東京都>葛飾区

 江戸期〜明治22年の村名。葛飾郡東葛西【ひがしかさい】領のうち。幕府領。検地は慶安元年。「田園簿」の村高539石余,うち田336石余・畑203石余。「天保郷帳」「旧高旧領」とも540石余。化政期の家数90軒(新編武蔵),慶応3年の人口431(地誌取調書上帳)。西北を流れる中川には,作場渡しがあり,対岸の立石【たていし】村へ舟1艘が通じている(新編武蔵)。助郷は水戸佐倉道(水戸街道)新宿【にいじゆく】に出役。コマツナ・ナスなどの蔬菜や,正月用シメ飾りを江戸へ出荷。村の鎮守は三社明神社(天祖神社)であり,神明・香取・鹿島をまつる。その他4社。寺院では,もと薬師寺といい,文明2年厳泉が改号したという新義真言宗西光院,ほかに同宗妙厳寺・観音堂がある(新編武蔵)。明治5年の戸数101・人口540(府志料)。同5年東京府,同11年からは南葛飾郡所属。同22年,上小松村・下小松村・奥戸村・奥戸新田・曲金【まがりがね】村・細田村・鎌倉新田・上一色【かみいつしき】村飛地・新宿町飛地が合併,奥戸村となり,江戸期からの奥戸村は大字奥戸となった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7298316
最終更新日:2009-03-01




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