ケータイ辞書JLogosロゴ 小河内(中世)


東京都>奥多摩町

 戦国期に見える地名。午(天正10年か)卯月7日の北条氏照印判状は,「大河内百姓中」に宛てて発給されたものであるが,「境目之儀,武州之儀者,此方之本地ニ候,靏【つる】郡(都留郡)之儀者,甲州領ニ候,大河内之儀,勿論武州之事ニ候間,何も此方へ可罷移旨,被仰出者也,仍如件」とあり,大河内が武田領と小田原北条領との境目の要地であったことがわかる(杉田文書)。また川野の杉田清兵衛宛の丁亥(天正15年)正月日の氏照印判状写によると,氏照は杉田清兵衛に12歳になる子の人質の提出を要請している。その文言中に「小河内衆之證人」とある。川野が小河内の中であったことがわかる。なお「村老の伝うる所は,留浦・川野・河内・原の四村は,いずれも小河内郷に属し,其あたりを古えはをしなべて小河内村と唱え,又小河内原村といえり」(新編武蔵)とあるが,その確証はない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7298325
最終更新日:2009-03-01




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