ケータイ辞書JLogosロゴ 金杉村(近世)


東京都>荒川区

 江戸期〜明治22年の村名。豊島郡峡田【はけた】領のうち。はじめ幕府領,正保3年東叡山寛永寺(台東区)領となる。村内に浅草三島明神社領4石余があった。村高は,「田園簿」では530石余で,田389石余・畑140石余。天保期では693石余となり,幕末期に及ぶ(天保郷帳・旧高旧領)。奥州街道裏道沿いに町家がつくられ,起立年代は不明であるが,金杉上町,金杉下町(ともに台東区)と称し延享2年町奉行支配となる(備考)。小名根岸は根岸の里といい,「呉竹の根岸の里は上野の山蔭にして幽趣あるが故にや都下の遊人多くはここに隠棲す」と「江戸名所」に記され,文人墨客の好んで住む所で,天保6年頃には文人の居宅が30戸もあった(新撰名所)。音無【おとなし】川と上野台との間の字杉崎【すぎざき】に宝暦3年上野寛永寺門主,輪王寺宮の隠居所の御隠殿【ごいんでん】がつくられた。化政期の家数は230軒(新編武蔵)。用水は石神井【しやくじい】用水を使用。神社では熊野社・第六天社・石稲荷社が勧請されており,寺院では,円光寺・東源院・西蔵院・世尊寺・千手院・要伝寺・寿永寺・安楽寺・西念寺・永称寺などがある。時雨岡【しぐれがおか】不動堂のかたわらにあった御行【おぎよう】の松は根岸の三木の1つで有名。明治元年東京府,同11年北豊島郡に所属。同5年の戸数894・人口3,543(府志料)。同7年西蔵院内に根岸学校が開校。同22年石神井用水以南の地および飛地の字千束【せんぞく】は下谷区に編入,同24年上根岸町・中根岸町・下根岸町・金杉下町・下谷坂本裏町となる。以北の地小名杉崎の一部,谷中【やなか】前大下り・中下り・井戸田は明治22年北豊島郡日暮里【につぽり】村と三河島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7298500
最終更新日:2009-03-01




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