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- 岸村(近世)とは
「岸村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 岸村(近世) 江戸期~明治9年の村名播磨国加西郡のうち八千種・春日山系線谷に位置する古くは坂田荘に属した寛文・延宝年間頃別名村を分村(黒田家文書)もと豊臣氏蔵入地,文禄4年木下家定領(岡山県木下家文書)姫路藩領村高は,文禄4年366石余(同前),「正保郷帳」391石余うち田336石余・畑55石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)261石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに339石余寺院は,地内寺前に天台宗紫雲山西蓮寺,奥ノ谷に同宗久斗山西岸寺,久斗谷に同宗久斗山長円寺があるともに白雉年間法道仙人の開基と伝える古刹長円寺前に竹本坊・自在坊などの寺屋敷跡があり,西岸寺付近にも坊屋敷の地名があり,ほかに西法寺跡と伝える所もあり,往時多くの寺院があったと推測できる西岸寺は永正17年,長円寺は天正5年兵乱で焼失しているまた,明応2年長円寺で赤松政則が死亡(赤松記),その供養塔と伝える五輪塔残欠がある明治9年福居村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岸村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岸村(近世) 江戸期の村名「きしのむら」ともいい,岸之村とも書く「三縁山志」「文政寺社書上」「備考続編」には幸稲荷社は武蔵国豊島郡岸村の鎮守岸村は郭公の名所幸稲荷社の幸稲荷大明神は武州豊島郡岸之村という2,000石余の村の鎮守で,ここは鎌倉街道岸の時鳥の名所古跡の社地,岸稲荷大明神というなどの記述が見える村名は陸地が水に接する地の意か(港区沿革図集)とあるが,その水とは,古川の流れか,あるいはその氾濫池であるさよが池(ゆりが淵)のほとりの意か,さらには海岸線がこの丘脈端にまで迫っていたことの意か明瞭でない前引用のように鎌倉街道岸つまり榎坂付近を通過したと思われる鎌倉街道のほとりの意味であるかもしれないが,これも明らかではないこの村が江戸市中の町に組み入れられて岸町となったものと思われる現行の芝公園西部を中心にした村であろう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」