ケータイ辞書JLogosロゴ 恋ケ窪新田(近世)


東京都>国分寺市

江戸期の新田名多摩郡のうち武蔵野新田の1つ恋ケ窪村の持添新田で,同村の北に接し,享保年間,恋ケ窪村の百姓加左衛門が中心となって開発現在の東恋ケ窪・西恋ケ窪の北部地域にあたる当初開墾が困難であったため,享保15年に幕府から家作料47両2分を,出百姓19戸で借り受けている元文元年の検地で家数23(内潰家5),村高143石余,皆畑恋ケ窪村の持添新田のため社寺はなく,恋ケ窪村のうちとして扱われた
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7299045
最終更新日:2009-03-01




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