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- 小中野村(近世)とは
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小中野村(近世) 江戸期~明治9年の村名津軽郡田舎庄のうち津軽平野中央部,岩木川左岸,岩木山北麓寄りの海抜5~8mの低地に立地する北は栄田【ゆうた】村の支村笹木,東は桑野木田村,西は玉川村に接する弘前藩領天和3年の広須御新田所図に村名がみえる村高は,享保16年検地帳130石余(田124石余・畑屋敷6石余),「天保郷帳」116石余,「旧高旧領」136石余享保12年には広須新田山通り36か村の1つで,村位は下,免合は五ツ成(平山日記)のち木造新田に属す(津軽平野開拓史では宝暦4年以降のこととする)享保16年検地帳によれば,反別は田畑屋敷合わせて19町余,うち田は17町余で上田から下々田まで設定され,内訳は上田9反余(10石余)・中田3町6反余(33石余)・下田8町余(56石余)・下々田4町9反余(24石6斗余),畑は上畑がなく中・下・下々畑と屋敷地合わせて1町6反余新田村としては「諸在に較ては土性聊宜しけれは作得多し」(国誌)という明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の戸数19(同前)同9年上相野村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」