ケータイ辞書JLogosロゴ 五ノ神村(近世)


東京都>羽村市

 江戸期〜明治22年の村名。多摩郡三田【みた】領のうち。「田園簿」の村高は5石余,すべて畑地。寛文7・8年の検地を経て「元禄郷帳」では49石余,「天保郷帳」では69石余。化政期の家数は26軒(新編武蔵)。はじめ幕府領,のち旗本領となった。「旧高旧領」では旗本藤沢氏の知行地69石余。中世末期より近世中期にかけて鋳物師集団が定住し,慶長年間京都方広寺大仏殿の鐘鋳に参画したという伝承がある(西多摩村誌)。鋳物業は江戸中期にほぼ衰退した。村中央の鎮守熊野神社の境内にまいまいず井戸があり,「新編武蔵」に「井の上に凹なる処広さ十歩四方もあり,それより下れることわずかにして水を汲べし,凡長五尋許の縄を用ゆ」と見える。付近10余家がこの井戸を用いていた。明治5年神奈川県,同11年西多摩郡に所属。明治8〜15年多摩村に属す。同22年西多摩村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7299164
最終更新日:2009-03-01




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