- JLogos検索辞書>
- 西光寺門前(近世)とは
「西光寺門前(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
西光寺門前(近世) 江戸期~明治初年の町名三国浦のうち三国湊古絵図写(内田家文書/国立史料館所蔵文書)では田地となっている正保3年現在地に移転を完了した浄土宗西光寺の門前に開けた町文政12年の家数15(三国湊記録)安永3・7年の湊の大火で当町は全焼明治初年下タ町通りへ通じる道にはコンニャク製造商いの店が軒を連ね,石切場町へ通じる道には職人が多く住んだ(三国町の民家と町並)明治初年松ケ下町の一部となる(松ケ下区有文書)なお,その後も通称を松裏町として独自の町内活動を続けた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西光寺門前(近世) 江戸期~明治2年の町名浅草を冠称西光寺は金亀山と号し浄土宗京都知恩院の末寺で,元和年間に浅草御蔵前に創建,寛永13年新寺町に移転した門前町屋は正保年間に開設を許された(備考)文政11年の家数21軒(町方書上)明治2年浅草清島町の一部となる現行の東上野6丁目の一部... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」