ケータイ辞書JLogosロゴ 下谷町(近世)


東京都>荒川区

 江戸期〜明治初年の町名。古くは豊島郡峡田【はけた】領下谷村のうちと伝える。慶長18年,名主金子三郎兵衛と恩地惣兵衛が幕府に願い出,元和5年町屋を起立。1〜3丁目があった。正保元年より東叡山寛永寺の本坊御用人足・境内掃除人足を負担。元禄11年の火災で類焼後,1丁目西側と2〜3丁目が召しあげられ,筋違【すじかい】御門内(千代田区)・西久保【にしくぼ】(港区)・下谷長者【したやちようじや】町2丁目続・屏風坂下【びようぶさかした】下谷車坂町続の4か所に代地を与えられた。のち筋違御門内の代地は神田小柳【こやなぎ】町1〜3丁目,西久保の代地は西久保新下谷町とおのおの改称。他の2か所は下谷町代地と称し引き続き寛永寺の御用人足を勤めた。また元禄11年収公された旧地に再度下谷町2丁目を起立したが,その一部は元文2年火除地となる(備考)。化政期の家数は下谷町1〜2丁目・下谷長者町続下谷町1丁目代地・屏風坂下下谷1丁目代地の合計で196軒(町方書上)。1丁目は竹町と俗称。2丁目には料理屋が多く,また独楽回しの竹沢藤次などが居住。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7299415
最終更新日:2009-03-01




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