ケータイ辞書JLogosロゴ 渋谷村(近代)


東京都>渋谷区

 明治22〜42年の村名。はじめ南豊島郡,同29年からは豊多摩郡に所属。青山北町7丁目・青山南町7丁目,渋谷宮益【みやます】町・麻布【あざぶ】広尾町・渋谷上広尾町・渋谷下広尾町・渋谷広尾町・渋谷神原町・上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村が合併して成立,11大字を編成。明治28年の戸数1,498・人口5,828。同24年5月笄開谷に日本赤十字社病院(現在の日赤医療センター)が飯田町(千代田区)から移転。明治29年6月から大正6年没するまで史論家山路愛山が中渋谷902番地に居住,その紹介で国木田独歩が明治29年9月から翌年6月まで上渋谷154番地に住み,「武蔵野」の構想を練った。同34年4月与謝野鉄幹が中渋谷272番地に移転し,晶子と結婚,「明星」を続刊。同36年常盤松【ときわまつ】に実践女学校(実践女子学園)が麹町【こうじまち】(千代田区)から移転。明治40年8月玉川電車渋谷〜玉川(世田谷区)間開通,同44年東京市電渋谷駅前〜須田【すだ】町(千代田区)間開通,渋谷駅はターミナル駅となる。同42年渋谷町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7299480
最終更新日:2009-03-01




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