ケータイ辞書JLogosロゴ 渋谷(近世〜近代)


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江戸期以来の地域名古くは塩谷の里と称し,鎌倉期に金王丸が居住したと伝えられ,江戸重長の子渋谷七郎元重が渋谷に知行を与えられたともいう北条氏綱は大永年間に江戸氏を攻め,高縄原【たかなわはら】の合戦には「小杉をまわり,渋谷へせめ入,放火す」と金王八幡や在家の焼失が知られる道玄坂【どうげんざか】は道玄太郎が住んだともいう「役帳」には下渋谷の地名が見られ,上・下渋谷が想定される江戸期には幕府領・旗本領・寺社領が入り込み,寛文年間頃に上・中・下渋谷村が成立,赤坂方面からの矢倉沢【やくらざわ】往還筋にあたり,かつ江戸に接近していたため町場的要素が生じ,正徳3年には渋谷宮益【みやます】町・渋谷道玄坂町・渋谷広尾町が町奉行支配となった文久3年尊攘運動の激化,将軍上洛に備えて,7月宮益坂に関門が設けられ,8月には東海道品川〜平塚間を青山から道玄坂を経る矢倉沢往還に付け替える計画が立てられた明治18年国電山手線渋谷駅が開設,同22年青山練兵場の設置,日露戦争の頃から陸軍諸部隊が青山から目黒・世田谷へ移動に伴い,軍人官吏の移住,御用商人の移住で,従来の宮益町に代わり,道玄坂が繁栄した同40年玉川電鉄の開通,同44年渋谷〜須田町間の市電開通に及び,道玄坂下を中心とする地域が発展し,渋谷駅を中心とする商業地帯が形成された大正初期には料理店・飲食店・遊技場が増加して,郊外屈指の盛り場となった昭和39年東京オリンピックの開催により,近辺には国立屋内総合競技場・渋谷公会堂・代々木選手村・岸記念体育館・NHK放送センターなどが設置され,渋谷駅は国電山手線・地下鉄銀座線・東急東横線・東急新玉川線・京王井の頭線のターミナルとなっている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7299484
最終更新日:2009-03-01




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