ケータイ辞書JLogosロゴ 下渋谷村(近世)


東京都>渋谷区

 江戸期〜明治22年の村名。豊島郡麻布【あざぶ】領のうち。寛文年間頃渋谷村から1村として成立。幕府領および三浦・森川氏ら旗本領,根生院領・天徳寺領。村高は「元禄郷帳」では116石余,「天保郷帳」では366石余,「旧高旧領」では350石余。助郷は東海道品川宿(品川区)に出役(渋谷区史)。下豊沢村との入会地広尾原は鷹狩り・鶉飼場で,土筆ケ原【つくしがはら】とも呼ばれ江戸市民の行楽の地であった(江戸名所)。化政期の家数は187軒,渋谷川が村の中央を流れ,渋谷橋・水車橋・天現寺橋・庚申橋が架かっていた。小名は道城池・猿楽塚【さるがくづか】・上知組・野崎組など。旧家に野崎・岩崎両氏があり,ともに渋谷の開発者と伝える(新編武蔵)。享保18年玉川水車ができ,ホタルの名所となる。江戸近郊農村として,野菜を江戸市中に出荷した。村内に町奉行支配を受ける広尾町があった。鎮守は白山社。寺院に臨済宗吸江寺・同東北寺・同鷲峰寺,ほかに曹洞宗渋谷山福昌寺があり,開山桂岩良嫰は慶長2年没と伝える。大名旗本の抱屋敷が多く,堀田氏ほか7氏を数える。明治元年東京府,同11年南豊島郡に所属。同11年5月村立臨川小学校が開校。翌12年下豊沢村を合併。同22年渋谷村の大字となる。「府志料」には記載なし。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7299602
最終更新日:2009-03-01




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