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- 千束郷(中世)とは
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千束郷(中世) 鎌倉~室町期に見える郷名荏原【えばら】郡に属す「新編武蔵」は,中延【なかのぶ】村(品川区)の八幡社の別当法蓮寺(日蓮宗)所蔵の長治2年の旧記に「千束郷,中延村」とあると伝えるしかし,旧記そのものに疑問があり,郷の範囲を知る史料にはなるが,この説は肯定しがたい日蓮が入滅の直前,弘安5年10月7日に池上の地から身延の檀越波木井氏に宛てた消息と伝えられる「波木井殿御書」は,日蓮真撰とは言いがたく古来疑問の多い遺文であるが,文明10年に日朝が著した「元祖化導記」に引用されているから,その成立はそれ以前であろうこの書の「武蔵国千束郷池上」が,郷名の初見とされていたが,日蓮滅後に成立した「大聖人御葬送日記」を文保2年没の日位が写した記録(静岡本覚寺文書)に「江原郡千束郷池上村」と明記されている以後,中世に成立した諸文献にも同様の記載が見られるので,鎌倉・室町期にかけてこの郷名が存在したと思われる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」