ケータイ辞書JLogosロゴ 千束村(近世)


東京都>荒川区

 江戸期〜明治24年の村名。豊島郡峡田【はけた】領のうち。浅草寺領。室町初期には千束郷と称した地。貞享2年6月11日の浅草寺朱印文書に「武蔵国豊島郡千束村五百石」と見える(台東区史)。当村は早くから町場化が進み,山之宿町・花川戸町・材木町の在方分を内千束【うちせんぞく】,日本堤外の橋場町・今戸町・三之輪【みのわ】町・山谷【さんや】町の在方分を外千束【そとせんぞく】といった(東京近郊名所図会)。「田園薄」「元禄郷帳」には村名の記載はなく,「天保郷帳」には,かつては山之宿町として「千束村五百石」とある。「旧高旧領」では346石余。明治2〜7年,内千束は千束村,外千束は千束村百姓地と改称(案内・画報・府志料)。明治5年の戸数139・人口609(府志料)。明治元年東京府,同11年北豊島郡に所属。同22年字大門脇耕地・西脇地の水路以北が北豊島郡南千住町と下谷【したや】区に,残余は浅草区にそれぞれ編入された。同24年までに浅草千束町1〜3丁目および南千住町の大字下谷龍泉寺【りゆうぜんじ】町の一部となる。また千束村百姓地は,同24年浅草町・浅草田中町に分割編入され,消滅。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7299995
最終更新日:2009-03-01




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