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- 雑色村(近世)とは
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![]() | 雑色村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 雑色村(近世) 江戸期~明治8年の村名武蔵国久良岐【くらき】郡のうち「元禄郷帳」「天保郷帳」では下郷を冠称多摩丘陵の南東部,大岡川上流域に位置する江戸初期の下郷村の一部で,元禄年間以前に分村寛永10年幕府領,元禄10年旗本加藤氏知行,幕末には旗本加藤氏・大津氏の相給検地は文禄3年・延宝元年助郷は保土ケ谷宿に出役「新編武蔵」によれば,江戸から10里余,松本・関両村と入り組み村境は定かではないが,およそ東西5町余・南北6町余,家数42軒,当村は天水を利用して耕作しており,たびたび干害をうけたため寛永年間に笹下川に堰を設けたその後元禄年間に同堰が廃止されたのち,3か村入会の小名明沢・打越に溜池をつくり共同で利用したが,生産力は低かった寺院は浄土真宗成就坊・東福寺がある慶応3年の家数30軒・人数146(横浜農村明細帳/横浜市史1)明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属同8年笹下村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」