ケータイ辞書JLogosロゴ 戸倉新田(近世)


東京都>国分寺市

 江戸期〜明治22年の新田村名。多摩郡のうち。武蔵野新田の1つ。幕府領。享保14年,戸倉村の出百姓に檜原【ひのはら】村の農民も加わって開発した寄合新田。検地は元文元年,村高133石余,皆畑,家数21軒。村高は幕末まで増減なし(天保郷帳・旧高旧領)。「新編武蔵」によれば,村内を甲州街道の北裏通り江戸街道が通り,「民戸四十九軒街道の南側に住せり」という。享保〜寛延年間に,本町【ほんちよう】・番場【ばんば】・四谷【よつや】新田の一部を譲り受け,明治5年さらに本町・番場両新田,続いて下谷保【しもやぼ】新田(府中市)を譲り受けて持添とした。鎮守は山王社。寺院に臨済宗金谷山満福寺がある。明治5年神奈川県,同11年北多摩郡に所属。同22年北多摩郡国分寺村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7300409
最終更新日:2009-03-01




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