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- 豊島郡とは
「豊島郡」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 豊島郡 当郡の荘園としては,利倉【とくら】荘・垂水荘・長江荘・椋橋【くらはし】東荘・細川荘・桜原荘・止々呂美【とどろみ】荘・美河原荘・外院荘・豊島牧・垂水西牧などがあった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 豊島郡 手嶋とも書く... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 豊島郡【としまぐん】 (中世~近世)戦国期に郡名を唱え,寛文4年まで続いた出羽国の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 豊島郡(中世~近世) 戦国期に郡名を唱え,寛文4年まで続いた出羽国の郡名戸島とも書く郡名の史料上の初見は近世以降となるが,藩政初期にすでに中世末期以来の郡名継承を主張(秋田沿革史など)戦国期に豊島城に拠って豊島氏を名乗り,岩見川流域一帯と雄物【おもの】川下流部をおさえた,畠山氏の勢力範囲を豊島郡と称したという戦国末期に当地方を掌握し秋田郡に組み入れた秋田氏は,この地域を「秋田郡内豊島庄」(秋田家文書)と称し,管轄のために豊島城に送り込んだ一族・代官をして豊島氏の名跡をつがせているこれもやはりそれ以前の郡的なまとまりが強かったからであろう秋田氏領下の豊島荘は,南は雄物川中流部の平尾鳥【ひらおどり】村・佐床【さでこ】村から北は太平【たいへい】川以南の寒川【さむかわ】村・目名潟【めながた】村,東は舟岡【ふなおか】村,西は雄物川を境としていた近世,秋田藩政下では,豊島郡を秋田郡から分離「正保国絵図」では豊島郡43か村(実際は47か村を図示)1万1,990石余と表示元和9年頃,秋田藩では当郡黒瀬村・楢田【ならた】村などと亀田藩領由利郡百三段【ももさだ】村とを交換豊島郡一円が秋田藩領ではなくなる久保田城下に南接する郡のため,藩政初期から新田や山林の開発,交通網整備などが意欲的に推進された寛文4年4月,郡制再編により郡名を河辺【かわべ】郡に復する近世以降は河辺郡... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 豊島郡 「続日本紀」仁徳天皇十八年春の条に「令戸田真人蒐武蔵国豊島郡,得二頭之狐而帰奏」とあり,早くから有力な豪族がいたことが知られる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 豊島郡【としまぐん】 武蔵国の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 豊島郡 明治12~29年の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 豊島郡【てしまぐん】 古代~近代の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 豊島郡 天正18年,徳川家康が江戸城に入城,家康の江戸城拡張と城下町建設で郡の南部は御府内となった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」