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- 貫井村(近世)とは
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貫井村(近世) 江戸期~明治3年の村名豊後国速見【はやみ】郡日出【ひじ】荘のうち慶長6年から日出藩領鹿鳴越山系北面の高原地帯から大村【おおむれ】山東南面にかけて位置する北部に八坂川が流れ,支流樋掛川が北流して八坂川に注ぐ徳田・本川内・西中尾・下中尾・樋掛・高月・恵良・竹の木・一ノ井手・平・井堀・台・志手ノ平・行徳の14の小村からなる徳田は鹿鳴越道の安全などのため,慶安年間日出藩3代藩主木下俊長が民家を移転させ,開墾・定住させたもの村高は「正保郷帳」964石余,うち田757石余・畑207石余,「見稲簿」「天保郷帳」とも942石余元治元年の村況は,村高1,029石余,家数126・人数455,牛馬167(日出藩人畜並田畑高御改帳)明治3年恒道村とともに野原【のはる】村に合併現在の速見郡山香町大字野原のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
貫井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」