ケータイ辞書JLogosロゴ 野川村(近世)


東京都>三鷹市

江戸期〜明治7年の村名多摩郡世田ケ谷領のうち宝永期に上仙川村の秣場を同村領主柴田勝重が開発,寛文11年に検地をうけた村である(三鷹市史)仙川新田ともいい当初柴田氏の知行地元禄11年柴田氏が三河国へ移封となってのちは幕府領「元禄郷帳」の村高199石余尾張徳川家の御鷹場で,助郷は高井戸宿(杉並区)に出役村は宿組と本村組に分かれ,宿組の世襲名主鈴木作右衛門家は,元禄期以前に大久保村から移住したと伝え,本村組の名主は上仙川村名主高橋家が兼帯した(三鷹市史)鎮守は上仙川村の勝淵神社天神社は当初上仙川村にあったが,寛永16年に本村内に移転曹洞宗明王山威徳院・日蓮宗常徳院・同是妙庵があった村内には府中裏道という道幅約5間の往還があり,化政期には60軒ほどの家が沿道に並び,その東方に品川用水が流れていた(新編武蔵)明治5年神奈川県に所属同7年上仙川村と合併,新川村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7300824
最終更新日:2009-03-01




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