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- 野中新田(近世)とは
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![]() | 野中新田(近世) 江戸期の新田名魚沼郡のうち新保村3か村の1つ信濃川支流入間川上流域本村新保村とは約7km隔たっている地名は地形による草創は新保村からの入植者で,漸次近在から移って来たという一説には天文年間の開発とも伝えられる地滑り常習地で,開発も困難が続いた慶安2年検地で高請されて成立はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」11石余,「元禄郷帳」では伊達村枝郷とあり同じく11石余天和3年検地帳では,古高10石余とあり,反別田7反余・畑屋敷3反余・青苧畑若干元禄7年改村鑑によれば,家数4(本家のみ)・人数18,馬2神社は十二社庄屋は新保村庄屋が兼帯江戸中期に新保村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」