ケータイ辞書JLogosロゴ 平尾村(近世)


東京都>稲城市

 江戸期〜明治22年の村名。多摩郡府中領のうち。江戸初期は都筑【つづき】郡に属したが,元禄年間以降多摩郡に属す。天正19年から旗本黒沢氏の知行。黒沢氏が絶えてのち,寛延3年以降は幕府領。「田園簿」の村高は191石余,うち田81石余。その後「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに191石余。慶応3年にも191石余,うち田91石余(地誌編輯取調簿)。助郷は甲州街道布田五宿(調布市)に出役。「新編武蔵」によれば,「水田の用水は谷々より涌出する清水を引く。故に旱損の患あり。又この細流あふれて水災をなすこともあり」と見え,家数は42軒で山野に散在。明治元年神奈川県,同11年南多摩郡に所属。同19年の戸数38・人口251(地誌編輯取調簿)。明治22年稲城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7301087
最終更新日:2009-03-01




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