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- 堀川町(近世~近代)とは
「堀川町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 堀川町(近世~近代)
江戸期~昭和6年の町名明治44年までは深川を冠称元木場町21か町の1つ俗に河岸【かし】通り油堀と呼ばれた地域元禄13年町地となり,正徳3年から町奉行支配となる化...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7301265]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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堀川町(近世~近代) 江戸期~昭和47年の町名江戸期は津城下の1町町人地城の北東に位置し,北は入江町に接する地名の由来は,藤堂高虎が元和5年に開削した堀川にちなむ寛永2年に町として成立したと伝える人数は,寛文5年115(男67・女48),同9年67(男37・女30)課役は,宿役として半役13軒半を勤める(明治3年町別課役取調書要領/津市史)寛文2年の大火による焼失家屋16軒明治2年産物会所が開設されたが,失敗に終わる同17年の戸数16同22年津市に所属昭和39年堀川は埋め立てられ市街地となった昭和29年の世帯数21,以後の世帯数・人口は,同36年21・92,同44年24・78昭和47年大門の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
堀川町(近世~近代) 江戸期~現在の町名上ノ下立売通御前西入2丁目の町葛野【かどの】郡西ノ京村に形成された洛外町続町の1つ寛永14年洛中絵図にすでに現町名が記される町名は,町域の西を流れる紙屋川が,平安京では西堀川と呼ばれていたことにちなむという(府地誌)町組は洛外西ノ京の上組正徳4年の洛外町続家数改帳では家数40(荻野家文書)明治元年上京【かみぎよう】に編入,同2年の町組改正から上京8番組,同5年第13区と改称,同25年第10学区に編成明治12年上京区堀川町,同22年京都市上京区堀川町となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」