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- 又兵衛新田(近世)とは
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又兵衛新田(近世) 江戸期~明治11年の新田名尾張国愛知郡のうち正徳5年笠寺村の土豪加藤又兵衛と26人の百姓によって開墾された新田濃尾平野東部,山崎川下流左岸地名は開発者の名前に由来する尾張藩領鳴海代官所支配一円蔵入地江戸期は笠寺村のうちに属し,郷帳類には一村として見えない「徇行記」によれば,笠寺村のうちに「又兵衛新田十町一反四畝二十九歩□□是ハ正徳五未年開墾也宝暦九卯年野方ヨリ入翌年検地アリ」と見える笠寺村七子の田17町余と桜村の田16町余が年々水損することから,その排水のため悪水路を笠寺村の西海面先まで掘り割り,その落口の塩浜がいたんだため,落口に2町ほどの堤を築いて当地を開発したという25年作り取りののち,1反につき5升の年貢上納を条件に開発が許可された山崎川の堤防沿いに又兵衛の屋敷跡があり,かつては米倉・宝蔵倉があったという現在は石垣の石のみ残る稲荷社は正徳5年創建明治11年前浜村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」