ケータイ辞書JLogosロゴ 百村(近世)


東京都>稲城市

 江戸期〜明治22年の村名。多摩郡府中領のうち。はじめ幕府領。正保〜延宝年間以降は旗本坪内氏の知行。村の西北の荒地を開発した新田は延享4年検地ののち幕府領。「田園簿」の村高106石余,うち田81石余,「天保郷帳」では129石余。慶応3年には183石余,うち田91石余(地誌編輯取調簿)。「新編武蔵」によれば,「東西十四町,南北十五町,南北に山をうけてその間に田畠あり」とあり,戸数43軒が山野に散在していた。明治元年神奈川県,同11年南多摩郡に所属。同19年の戸数55・人口298(地誌編輯取調簿)。同22年稲城【いなぎ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7301667
最終更新日:2009-03-01




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