ケータイ辞書JLogosロゴ 谷保村(近世)


東京都>国立市

 江戸初期〜天和3年の村名。多摩郡府中領のうち。幕府領。「田園簿」の村高は田372石余・畑413石余,計785石余。当初は台地上の開発が進められたが,府中の用水の完成により,古多摩川の流路が水田として開発された。天和3年に上・下2か村に分かれ,西を上谷保村,東を下谷保村とした。両村とも村内南部を東西に甲州街道が貫き,化政期の家数上谷保村160軒・下谷保村96軒。「往還の左右に簷【のき】を連ぬ,耕作の外飼蚕をなす」(新編武蔵)。「天保郷帳」の村高は上谷保村1,329石余・下谷保村558石余,ほかに下谷保新田44石余とあり,「旧高旧領」では上谷保村1,302石余,ほかに天満宮・南養寺等,寺社領28石余,下谷保村602石余とある。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7301772
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ