ケータイ辞書JLogosロゴ 阿久和郷(中世)


神奈川県>横浜市

 鎌倉末期〜室町期に見える郷名。相模国鎌倉郡のうち。正慶2年3月17日の色部長行譲状に「さかミの国あくわのかう八郎三郎入道かさいけ一う,田九たん三十歩事」と見え,長行の女房尼御前に譲られて,色部氏の庶子家,宿田氏の所領として受けつがれている(古案記録草案/色部史料集)。当郷は年貢公事については嫡孫長高が沙汰し,尼御前の一期分としての支配であった。また,同2年3月□日の色部長行譲状によれば,長高に対しても「あくわのかうの内,新へいしかさいけた」を譲与し(同前),文和3年10月,長高は娘千代へ当郷と鎌倉の屋地を譲与した(同前)。当時,郷内にはわずかの在家と田が存在していたことがうかがわれる。室町期になると,宝徳2年9月21日の古河公方足利成氏御教書に「鶴岡八幡宮御供料所……同国(相模国)阿久和郷内水田」とあり,鶴岡八幡宮領であり,1度は売却した所領であったが鎌倉府によって徳政が行われたため,かつての持主鶴岡八幡宮に返付する旨を命じている(大庭文書/県史資3下‐6105)。戦国期の「役帳」に,小机衆増田氏の所領役高として「拾六貫大 東郡 阿久和 年期銭無沙汰付而被召上 依之着到拾六貫文引之申,但付紙之」とあり,当地域は郷名は冠されてはおらず,また増田氏の「年期銭無沙汰」によって小田原北条氏に召し上げられていたことがうかがわれる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302083
最終更新日:2009-03-01




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