ケータイ辞書JLogosロゴ 阿久和(近代)


神奈川県>横浜市

 明治22年〜昭和14年の中川村の大字名。明治23年字給田に中川村役場を設置。同24年の戸数203,男643人・女661人。明治20年代に入って養蚕が盛んとなり,同24年改良社,同27年大剛社,同29年盛進社小林器械製糸場,同36年相原製糸場・相沢製糸場と製糸会社が相次いで開業した。同42年阿久和小学校の新築に際し,費用を公有地の売却に求めたため,住民が反対して紛争を生じた(横浜貿易新報)。第1次大戦後の大正9年から糸価が暴落して養蚕業は打撃を受け,昭和初年にも市況は暴落して衰退した。大正15年神中鉄道(現相模鉄道)が厚木〜二俣川間に開通し,三ツ境駅が置かれた。昭和14年横浜市戸塚区阿久和町・新橋町となる。同年の世帯数187・人口1,144。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302085
最終更新日:2009-03-01




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