ケータイ辞書JLogosロゴ 阿多見(中世)


神奈川県>鎌倉市

室町期〜戦国期に見える地名相模国鎌倉郡のうち享徳元年12月日の相模国北深沢郷年貢算用状案によれば,円覚寺黄梅院領北深沢郷の結解算用状が作成されており,地頭分148貫282文のうちの除分として「参貫弐佰六十壱文 柿原次郎太郎逐電跡,阿多見」および「肆貫柒佰五十弐文 損亡,依風損,洲崎・阿多見三貫百文,谷壱貫六百五十二文」などと見える(黄梅院文書/県史資3下‐6145)下って,戦国期の「役帳」には,小田原北条氏玉縄衆川瀬左市郎の所領役高として「六拾五貫文 東郡須崎・あたみ 此度改而 知行役可申付」とあり,松山衆太田豊後守の所領役高にも「五十貫文 河越衆御給帳内ニ而被下 但あたみ六十五貫文替ニ被下」と見えるなお,年月日未詳の某書状に「あたみへひんもの候はんに」と見えるが,当地にあたるかは未詳(金沢文庫古文書4)近世山崎村の小名に熱海があり,現在の鎌倉市山崎のうちに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302113
最終更新日:2009-03-01




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