ケータイ辞書JLogosロゴ 今里村(近世)


神奈川県>海老名市

 江戸期〜明治22年の村名。相模国高座【こうざ】郡のうち。寛永10年幕府領,元禄10年旗本町野氏知行,幕末は旗本鈴木氏知行。村高は,「元禄郷帳」292石余,「天保郷帳」260石余,「旧高旧領」257石余。「旧高旧領」の村高のうち臨済宗東林寺領4石余が見えるが,同寺の慶安2年朱印拝領高は7石余という(新編相模)。検地は寛文7年町野幸宣が実施。「新編相模」によれば,江戸から14里,東西4町余・南北8町,家数41軒,鎮守は八幡社,寺院は東林寺。地内の耕地は乾田で良質の米を生産。村民は米・麦の生産を主としつつ,農間期には杉窪村の山に入って自家消費の薪炭を作り,幕末に入ると年3回の養蚕を行うようになった。地内高野では通称邑瓦という相州瓦を製造。また奥田・三田両家は打ちあげ花火の製造許可をうけ,鎮守八幡社の9月11日の例祭には両家による打ち上げ花火・仕掛花火が奉納された。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。同18年の戸数47・人口118(市広報室調)。同22年有馬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302335
最終更新日:2009-03-01




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