ケータイ辞書JLogosロゴ 入不斗郷(中世)


神奈川県>横須賀市

 南北朝期から見える郷名。相模国三浦郡のうち。不入斗・不読入村とも記される。応安3年2月27日の円覚寺文書目録に「相模国不読入村」とあり,円覚寺に寄進された村であったことがわかる。「役帳」に,小田原北条氏の玉縄衆間宮豊前守の所領役高として「買得 三拾貫文 元文珠坊知行 三浦 不入斗」と見え,また半役被仰付衆で南条寄子たる幸田源左衛門の所領役高として「三拾貫百六十三文 入不斗」と記されている。天文7年5月25日北条家朱印状写は,「入不斗間宮分百姓中」と「入不斗幸田分百姓中」にあてたもので,大普請役を勤めるため本人足2人は鍬・簀を持って小田原へ集まるよう命じている(相文/県史資3下-8497・8498)。「役帳」作成段階以来この時期に至っても,当地は間宮氏と幸田氏の知行分に分かれていたことがわかる。天正18年卯月日の豊臣秀吉禁制(同前9722)は「相模国入不斗郷西来寺」にあてて出されており,秀吉は小田原攻めに際して当地を掌握しようとした。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302361
最終更新日:2009-03-01




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