ケータイ辞書JLogosロゴ 岩戸村(中世)


神奈川県>横須賀市

 戦国期に見える村名。相模国三浦郡のうち。「役帳」に小田原北条氏の半役被仰付衆で石上寄子たる蜷川九郎三郎の所領役高として,「卅弐貫三百廿八文 同(三浦)岩戸」が見える。しかし永禄5年8月2日の北条氏康判物案写には,「知行方 七拾八貫六百廿六文〈三浦郡〉小坪,卅弐貫三百廿八文〈同郡内〉岩戸村,以上百拾貫九百五十文,右,去夏任約諾旨,進之候」とあり,水軍として郡内静謐に努めるようにと梶原吉左衛門尉に与えられている(紀伊続風土記所収/県史資3下‐7281)。また永禄6年7月11日北条氏康判物案写では,三浦の「岩戸村」などに加えて,さらに数か所を梶原知行とし,「海上之儀,一廉走廻,可為肝要也」と記されている(同前7333)。岩戸観音開帳記録に,「相州三浦岩戸ノ観音御戸開キ,嘉慶二戊辰三月廿八日ヨリ四月晦日マテ,四月卅日子日参詣申,寺中僧達多分参詣アリ……応永廿八年開申」と記されている(金沢文庫古文書)。また,この岩戸満願寺(観音堂)には鎌倉期の地蔵菩薩立像・菩薩立像(国重文),毘沙門天像・不動明王像(市重文)が現存し,同寺は三浦十郎義連開基と伝えている。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302378
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ