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- 大竹村(近世)とは
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![]() | 大竹村(近世) 江戸期~明治初年の村名相模国大住【おおすみ】郡のうち秦野【はだの】盆地の南東部,金目川右岸の丘陵上に位置する地名の由来は,二宮街道が通じる尾尻村の南東に馬の継立場があって大駄家と称したことにちなむという(中郡勢誌)はじめ尾尻村に属し,正保から元禄年間に分村して成立(新編相模)寛永10年・元禄10年下総生実藩領と旗本小栗氏知行,幕末には旗本小栗氏知行村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」とも196石余,「旧高旧領」220石余「新編相模」によると,江戸から19里余,家数63軒,尾尻村と合わせて東西11町許・南北19町余,鎮守は八幡宮,ほかに御霊社と観音堂がある元文4年当村の名主を兼帯していた尾尻村の名主が小田原宿の新助郷役の免除願いを提出した際,当村を欠落させてしまったため免除の村数から除かれたそこで領主に1村として名主も独自に任命するよう要求したが認められず,同年幕府の評定所へ訴え出てようやく認められたしかし天保期になっても完全な独立村として扱われないこともあった(秦野市史2)地内西方を二宮街道(小田原道)が通る寛延2年小田原宿の新助郷の免除を願って訴える(高橋家文書)明治初年西大竹村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 大竹村(近世) 江戸期~明治9年の村名筑後国山門【やまと】郡のうち矢部川下流左岸の平野部に位置する柳川藩領小川組に属す村高は,「元禄国絵図」464石余,「天保郷帳」469石余,「旧高旧領」662石余明治5年の反別は49町6反余(郡郷/立花家文書)文久2年の商工業者は揚酒1・精油1・菓子1・飴おこし1・小店1(御小物成盛掛小帳/同前)村社の樋口八幡神社は貞観11年の建立といわれ,鷹尾八幡宮が宇佐より遷宮の時しばらく鎮座した跡と伝える二尊寺は延慶3年僧鉄山の開基と伝え,古くは天台宗,のち曹洞宗に改め,元禄元年臨済宗妙心寺派に属す境内に天文10年銘の自然石図像板碑があり,仏師周陽の作者銘を有す周陽(周養)の作品は筑後南部から肥後北部にかけて9基発見されている(九州の石塔)明和2年建立の天台宗崇福寺ならびに延宝年間開基の真言宗三宝院派大日寺中央院は現在廃寺明治9年瀬高下庄村に合併現在の瀬高町下庄のうち... |
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