ケータイ辞書JLogosロゴ 大曲村(近世)


神奈川県>寒川町

 江戸期〜明治22年の村名。相模国高座【こうざ】郡のうち。上大曲とも称した。寛永10年・元禄10年とも旗本大岡氏知行,幕末は三河西大平藩領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに200石。「新編相模」によれば,下大曲村を合わせた大曲村として見え,江戸から15里,東西・南北ともに5,6町程,家数42軒,寺社には真言宗東福寺・八幡社・十二天社・山王社がある。村を二分して上・下と称したと記し,当村は上に当たり,上大曲村とも称した。天保14年頃の組合村明細帳にも大曲村高400石・家数39軒,うち三河西大平藩大岡氏領(下)高200石・家数20軒,旗本本間氏知行(上)高200石・家数19軒とあり(県史資8上付録),大曲村は上・下を合わせたいわば総称となっている。この上・下の別は相給知行の分郷により生じ,上・下の別が必要な時には,幕府郷帳に見えるように,下大曲村に対し上にあたる当村分を大曲村と記したものかと思われる。元禄7年の助郷制改革により,下も含めた大曲村は藤沢宿大助郷となり,延享2年からは同宿加助郷を勤める。なお,安政2年の村高家数人別書上帳では,下の高200石,家数21軒,男53・女60に対して,当村にあたる上は高200石,家数20軒,男68・女76とある(入沢文書)。幕末,小松弥右衛門が寺子屋を開設している(目で見る寒川)。明治4年西大平県を経て神奈川県に所属。明治22年寒川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302610
最終更新日:2009-03-01




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