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- 岡田郷(中世)とは
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![]() | 岡田郷(中世) 南北朝期に見える郷名遠江【とおとうみ】国豊田郡のうち南北朝期のものと推定される年月日未詳遠江国国衙領注文(熊野速玉大社古文書古記録)に「岡田郷 九石一斗四升一合」とあるのが初見当時遠江国は熊野山新宮造営料国に指定されており,本文書は造営料賦課のための国衙領を書き上げたものであるから,当時,当郷は国衙領であったことになる室町期の長禄3年12月日の高師長所領目録(内閣文庫所蔵蜷川家古文書/岐阜県史史料編古代中世4)には当郷が,下野国足利荘内足次郷や参河国額田郡政所職などとともに高師長の本領の1つとして記載されているが,その当時は一色氏の当知行地となっていた下って戦国期の永禄11年9月2日の今川氏判物(矢入文書/県史料3)によると,今川氏真は松本与三郎に下山所用の代物として遠州岡田の前年分の年貢を与え,前年分の徴収が不可能ならば,当年分の年貢の徴収を許可している「風土記伝」には「一言・賀茂等の諸村を岡田在と呼ぶと,按ずるに山城国岡田の鴨の神社の新宮領か」という説を載せているが,「岡田庄」と書かれた中世史料はない仮に,中世岡田郷が,江戸期に岡田荘という地域名として残ったと考えて,「風土記伝」の説に従うと,当郷は現在の豊田町大字一言・加茂あたりに比定される一方,現在磐田【いわた】市内にも大字一言という地名があり,また,市内南部に大字上岡田・下岡田も存在するので,これらが岡田郷の地名を継承したと推定することも可能である |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡田郷(中世) 室町期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡田郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」