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- 小沢郷(中世)とは
「小沢郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 小沢郷(中世) 鎌倉期から見える郷名多摩郡と橘樹【たちばな】郡にまたがる小沢郷は鎌倉期には稲毛荘に属して稲毛重成の所領であったが,当郷には重成の子重政がいたらしく,重政は小沢次郎を名乗った(歴史地理)元久2年6月,重成・重政父子は畠山重忠の騒動に連坐して誅せられたしかし,同年11月3日に小沢信重という者が,重成の女(母は北条時政の女)が綾小路師季に嫁して生んだ女子を京都から呼び寄せ,北条政子の猶子としたため,当郷はこの女子の知行するところとなった(吾妻鏡)その後当郷がどう変化したか不明だが,暦応4年8月に摂津親秀が松王丸に譲与した所領のなかに小沢郷が見えている(士林證文)戦国期に至っては,小田原北条氏の家臣垪和【はが】又太郎の知行するところとなり,「役帳」によれば小沢郷は200貫文と記されている近世には菅ケ村・谷ノ口【やのくち】(矢野口)村・長沼【ながぬま】村・百村【もむら】・大丸村に分かれた(北条分限帳郡村略考・新編武蔵)これらの村々は多摩川の南岸にあたり,こうした村々の中には小沢嶺・小沢蔵屋敷という字名を残すものもあった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小沢郷(中世) 戦国期に見える郷名遠江【とおとうみ】国豊田郡のうち天竜川の支流水窪【みさくぼ】川流域に位置する天正8年6月9日の武田家朱印状に「小沢之郷」とあり,武田氏は古屋七郎衛門尉・波田市右衛門尉など14人を当郷に居住させ,合戦の際の奉公を命じている(日谷地文書/県史料5)現在の佐久間町大字大井字小沢の付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」