ケータイ辞書JLogosロゴ 金田村(近世)


神奈川県>三浦市

 江戸期〜明治22年の村名。三浦郡のうち。寛永10年,元禄10年,幕末ともに幕府領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」とも430石余,「旧高旧領」で435石余。「旧高旧領」による435石余のうち5石は海南明神社領とある。天正19年の徳川家康寄進状写には「三浦郡三崎之内五石之事」と見える(記略)。検地は文禄3年長谷川長綱が実施。化政期の家数150軒余(三浦古尋録)。「新編相模」によれば,当村から北方野比村に至る海岸沿いの菊名村・上宮田村・津久井村・長沢村・野比村と当村の6か村は下浦六か村と称するといい,江戸から18里,海路も18里,西を三浦往還が走り,東西・南北各18町余,家数166軒,鎮守は走湯権現社,寺院は浄土宗円福寺,臨済宗福寿寺・清伝寺。福寿寺は三浦義村の創建にして,門前小高い地に同人の墓と伝える碑がある。なお同書には当浦について「潮干四五間猟漁は鯛鰍の類多し」と見え,海岸に烏帽子塚,雨崎と称す東出崎,20間海上に黒島があると記す。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。同22年南下浦村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302893
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ