ケータイ辞書JLogosロゴ 川尻村(近代)


神奈川県>城山町

 明治8〜22年の村名。津久井郡のうち。上川尻村・下川尻村が合併して成立。はじめ足柄県,明治9年からは神奈川県に所属。同11年戸長役場を設置。同17年当村および小倉村・葉山島村・中沢村の4か村連合戸長役場を地内久保沢に設置。江戸期には六斎市が立ち,材木・繭・木綿・海産物などの取引が行われていたが,明治期に入り津久井郡の中心が中野村(津久井町)に移り,当村は商工業の町へと形態を変えていった。「皇国地誌」によれば,明治9年の調べで,税地は田21町4反余・畑324町1反余・宅地29町8反余・山林130町8反余・秣場155町余など,戸数381・人口1,785,牛馬85,高瀬船1・漁船3,人力車2・荷車13,渡船場に小倉の渡しがあり,字久保沢には明治9年に川尻学校が新設され,生徒数97・教員3,ほかに明観寺に分校があり生徒数30・教員2で,中沢村にも同校の分校があった(残稿)。また久保沢に5等郵便局・内国通運会社・中馬会社があった。民業については,農業を専業とする者8,ほかに農間余業を行う者として職猟4・旅館7・飲食業19・織物業49・駄賃稼16・川漁15・魚類卸売3・炭卸売10・木挽8・大工9・鍛冶5・小間物商5・豆腐店4などがおり,農間に養蚕に従事する女性369人がいた。また物産は,米・麦・粟・大豆・小豆・味噌・醤油・酒・繭・生糸・織物・茶など(同前)。蚕糸業組合の業目人名取調によれば,明治19年には総戸数350で,このうち養蚕戸数259・製糸戸数321を数えた(富岡家文書)。明治22年市制町村制施行により中沢村飛地を加え,単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7303105
最終更新日:2009-03-01




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