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- 久野村(近世)とは
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![]() | 久野村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 久野村(近世) 江戸期~明治8年の村名はじめ玉名郡,明治3年からは山鹿郡のうち千田川中流右岸の台地北縁斜面に位置する南部の台地上に久野古墳などがある熊本藩領村高は,「寛永郷帳」「正保郷帳」「天保郷帳」では千田村のうちに含まれ,「旧高旧領」で700石余なお慶長13年に千田村のうち当村分の検地帳(県立図書館蔵文書)が作成されており,同帳では田40町2反余・畠24町余,屋敷が19筆で2町余,分米合計696石余,家数20・人数40,牛馬1とある「肥後国誌」によれば中富手永に属し,千田村のうちとあり,高696石余,また「旧比佐野村ト云」とも見える文化11年の中富手永手鑑(肥後藩の経済構造)による家数47・人数223,馬38神社に菅原神社があり,永禄5年山城国北野天満宮を勧請し,当初は拝殿のみであったが,宝永2年に神殿を建立したという(鹿本郡市神社誌)ほかに荒神や辻堂もある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同8年千田村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」