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西村(近世) 江戸期~明治23年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 王府時代~明治29年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 江戸期~明治37年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 江戸期~明治初年の村名伯耆【ほうき】国日野郡のうち鬼林山西北山麓,日野川上流域の山間地に位置する鳥取藩領村高は,拝領高187石余,「元禄郷村帳」187石余,「天保郷帳」206石余(うち新田高18石余),「元治郷村帳」195石余,「旧高旧領」215石余元禄の本免は6.2,「元治郷村帳」の物成は97石余戸口は,「伯耆志」35戸・191人,「文久3年組合帳」33戸延享3年御案内手帳によれば,鈩【たたら】が1か所あり,運上銀80匁,黒坂より4里半の地にあって馬かごも通らない難所であった(藩史6)「伯耆志」によれば,産物は扱苧・温石・ソバ,林5町余を有し,隣村へは東の大森村へ11町半,南の川上村へ15町,西の東村へ1町,北の大戸村へ15町半また,産土神は大日本根子彦太瓊尊を祀る楽々福【ささふく】大明神で,社地は東西18間5尺・南北32間,社は方3間4尺,祭日は4月1日,末社の若宮大明神・今宮大明神もあり,ほかに三体妙見宮,寺院には真言宗金光山不動院神宮寺,小祠29・辻堂3がある楽々福大明神の社領は7石4斗7升8合(藩史4)東村にも楽々福大明神があり,また当郡宮原村にも同名の神社があるが,宝暦3年郡中祈願所をめぐって東・西両村と宮原村とのあいだで争論となり,同6年3度に2度は東西両社がつとめることになった(県史9)明治6年西村小学校を開設し,同7年の生徒数42(男41・女1),教員数2(県史近代5)明治初年東村と合併して宮内村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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西村(近世) 江戸期~明治12年の村名名草【なぐさ】郡のうち紀ノ川下流右岸,洪積世の河岸段丘上に位置する村名は同荘の西方に位置することによる(続風土記)和歌山藩領知行所山口組に所属岡崎村から分かれた4か村の1つ村高は,慶長検地高目録で636石余,ほかに小物成1升余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも同高天和2年の名草郡山口組地方事(土屋家文書)によれば,本高636石余,田方は反別34町余・高555石余,畑方は反別5町余・高81石余,池数は1か所,家数62軒,人数224うち男114・女110,牛馬28「続風土記」では家数54軒・人数191同書によれば,当村の旧名は坂上村と伝え,今も田地の字名に坂上・坂のうちがあるという神社は妙見社・蔵王権現社・弁財天社氏神は谷村の山王権現・春日明神社という寺院は,浄土真宗本願寺派覚善寺,浄土宗西山派斜陽山西方寺文化5年の諸色覚帳写(保田家文書/県史近世3)によれば,当村の水利は六ケ井懸りで,ほかに当村と黒谷村・藤田村3か村立会いのかしこ池もあった口五郡百姓騒動実録(田中家文書/同前)によれば,大旱魃の文政6年各地で水争いが起きたが,6月1日六ケ井関筋でも打毀が発生,これらはおのおの合流して大規模な百姓一揆へ進展し,大庄屋・各村役人・頭取などが大量に処罰されたが,当村にも追放処分者が出た明治4年和歌山県に所属同6年には戸数51,男119・女100同12年山口西村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」