ケータイ辞書JLogosロゴ 松田庶子(近世)


神奈川県>松田町

 江戸期〜明治22年の村名。相模国足柄上郡のうち。寛永10年・元禄10年・幕末とも小田原藩領。村高は,「元禄郷帳」239石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに315石余。慶長年間と推定される12月9日の後藤真成手形(相文1)に「惣領そし分」とあり,松田惣領延命寺の萱屋葺替えの際,当地からも竹を奉納すべき旨が命じられている。検地は万治3年。貞享3年朱印高は239石余,小田原藩御林として雑木15町2反余がある(御引渡記録)。なお元禄13年の村高覚によれば269石余(熊沢家文書)。正徳3年の家数80軒(足柄上郡誌)。「新編相模」によれば,東西19町余・南北1里10町余,家数99軒,飛地は松田惣領に3か所,鎮守は松田惣領の神田明神社,寺院は古義真言宗宝寿院で,用水には「川村向原岩流瀬堰の末にて村西より南流す」る松田堰を利用し,農間余業については「農間煙草を作れり,松田煙草と称す」とある。文化7年から小田原宿の助郷を勤める。明治4年小田原県から足柄県を経て,同9年神奈川県に所属。同22年松田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7305096
最終更新日:2009-03-01




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