- JLogos検索辞書>
- 弥勒寺村(近世)とは
「弥勒寺村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 弥勒寺村(近世) 江戸期~明治8年の村名登米【とめ】郡二十五邑の1つ(封内風土記)寛永6年11月11日付白石宗貞宛伊達政宗領地黒印状に「拾七貫九百九拾八文 同(袋中のうち)みろく寺村」とあるのが初見「元禄郷帳」の村高は319石余,「天保郷帳」では502石余「安永風土記」によれば,一門登米伊達式部の知行,村高は田代34貫余・畑代15貫余の計50貫余,人頭59・戸数59・人口351・馬39,鮭鱒漁のかっこ船1艘,作場通用のかっこ船19艘神社に山王権現・愛宕社,仏閣に弥勒堂,寺院に真言宗長徳山歓喜院弥勒寺がある弥勒寺は,奈良期の創建と伝え,平安末期には平泉藤原氏の保護を得,鎌倉期から室町期には葛西・大崎両氏の菩提寺として発展,24坊があったという天正年間に兵火で一山焼失,その後,決弁僧都を中興開山として復興した本尊の弥勒菩薩像(県重文)は大和金峰山【きんぷせん】の役【えん】の行者が蔵王権現の命で衆生摂化のため安置したと伝え,村の村名の起こりとなったもの明治元年土浦藩預り地となり,以後,涌谷【わくや】県・登米県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県に所属明治8年上沼【うわぬま】村に合併,その一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 弥勒寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」